私が32歳の頃「大曲JZZZサークル」が産声を上げ、以来音楽文化発展と音楽好きの仲間たちの最高の集いのサークルとして地域に多いに貢献しました。
宮田会長、加藤謙介さん、伊藤幸作さん、古谷さん、虻川さん、佐々木さん、小西さん・・・他、大曲にまだJAZZが浸透していなかった頃、彼達を中心にこの会は発足しました。
会報「スイング」の発行や定例会、また一流JAZZマンを招いてのコンサート公演などを柱にしたこの素晴らしいサークルの誕生は今から30年前の事です。残念ながら10数年のすばらしい活動歴を残して幕を閉じました。
私も当時大曲に住んでおり、この会へ参加し活動しましたが、当時は景気が右方上がりの時代で、音楽好きの仲間たちが損得を抜きにして集い、最高の時は70名余の会員がいたと思います。
今考えると、加藤謙介さんや伊藤幸作さん又、例会場となった駅前のシャマードなど、自分の仕事をさておいてボランティアで頑張り、みんなを引っ張って行ってくれました。
そしてサークルの会報は、伊藤幸作さんという某会社の社長が担当してくれていましたが、そのコラムに私の「マー坊のJAZZ裏話」を連続で寄稿させて頂いていました。その記事も上に載せて見ました。
私が昔、東京のバンドマンと接して感じた裏話とは言え、30代の前半よく大胆にこんな事を書いたもんだなあ・・・・という半面・・・・いいこと書いているなあと・・・・そんな複雑な気持ちで今30年ぶりで読んだところです。
このサークル主催で昭和59年に、私の師匠・故土田真弘(アルトサックス)が世良譲(ピアノ)トリオのゲストとして、ジミー竹内(ドラム)戸部夕子(ボーカル)と公演しました。ありがとうございました。
CDのない時代、LPレコード全盛のアナログの時代、なにか当時の仲間たちは今のようなコンピュータ全盛のデジタル時代とはちょっと違い「ゆったりと温かかった」ように感じます、つまり我々の良き時代は、すべてアナログの時代だったのです。
飯塚 雅幸