上の写真は、今から25年程前、家内のおじさんが若いころ東京に勉強に行っていた時使っていた革カバンを、ごみに出される寸前にもらい、その頃から集めていたジャズのカセット録音版の収納「宝箱」として、使用しているものです。
中身は、師匠が残した「日本のジャズ史上の草分け」として歴史に残る「銀巴里セッション」や、師匠・土田真弘氏が世良譲(ピアノ)ジミー竹内(ドラム)野村たけし(トランペット)大野喬(ドラムス)などとのセッションの録音や、スタジオでの録音がカセットに残っています。
師匠の昔のカセットを聴いていたら、ついつい「スイング・ジャーナル」をめくって、あの「銀巴里セッション」で活躍の師匠の写真を想い出し載せてしまいました。(左上の写真です)
今では、ジャズのライブハウスは全国何百カ所とありますが、当時はこの銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」での夜間、全国で唯一、ここでしかジャズのライブはやっていませんでした。
1950年代~日本のジャズ事情を知りつくし、多大なご理解と協力を頂いたとされる、ドクター内田修氏の「ジャズが若かったころ」の本に師匠・土田真弘氏の事が書かれています。
上は「銀巴里セッション」の一番メインとされて日本ジャズ史上に残っているライブでのプログラムで、師匠・土田真弘氏は日野皓正(トランペット)金井英人(ベース)高柳昌行(ギター)富樫雅彦(ドラム)などと演奏しています。
そして、1956年の「スイング・ジャーナル」人気投票が上の記事で「アルト・サックス部門」2位が渡辺貞男氏で、11位が師匠・土田真弘氏でした。
師匠が亡くなってから早くも22年が過ぎ去りましたが、私の心の中にはいつも、あの師匠「土田のマーボー」がいます。
私が以前住んでいた借家の子供部屋に泊まって頂き、子供から「また来てもいいよ」と言われ「ご機嫌だった」土田師匠を、今でも懐かしく思います。
師匠・故土田真弘さん・・・いつもありがとうございます。
飯塚 雅幸