大曲社会保険事務所は、秋田県南を管轄しており、県南全域から、会社の社会保険担当者が集まり開催される大会です。
その大会の、研修会後のミニコンサートとしてご依頼いただきました。会場は横手セントラルホテル・ラポートです。
飯塚 雅幸
私の師匠、故土田真弘さんの後輩でトランペッター野村たけしさんから、最近連絡をいただきました。
彼はジャズ界の一級のプレイヤーであるとともに「竹内まりや」のレコーディングには欠かせぬ人物として、又ミュージカル・ピットの「レ・ミゼラブル」などの重鎮として活躍しています。
写真は、彼のバンドでテレビ番組「モーニング・サンディ」に出演の時の物です。
野村さんは近年、島倉千代子さんのバンドマスターとして活動しましたが、私もその際、お仕事を一緒にさせていただきました。
横手の公演の時、私の自宅に野村さんに泊まって頂き、彼のトランペットが私の家中に鳴り響いた事や、その時知ったのですが、島倉千代子さんが私の家内と同じ藤間流の門下であり、藤間勘座さん島倉千代子さんとよくゴルフに行くという事などを知り、たいへん盛り上がった事を覚えています。
田舎の太田の自宅に、土田真弘先生初め、テリー水島さん、今野菊治さん、野村たけしさんなど日本を代表する音楽家が来ていただきました事、ほんとうにありがたいと思います。
今でも気にかけて頂いている先輩、野村たけしさん・・・いつもありがとう・・・また、師匠土田真弘先生に感謝します。 深 謝
飯塚 雅幸
今日は私の師匠、故土田真弘氏の事を書きたいと思います。 日本ジャズ界では、土田のマー坊と呼ばれ1956年、私がまだ小学校に入らない頃、スイングジャーナル紙・アルトサックス部門人気投票第11位でした。その頃、渡辺貞夫さんは2位でした。
私が彼に弟子入りしたのは、千葉商大の1年生の時で、あるコンサートに招かれ、雪村いずみさんと金井英人(有名なベーシスト)さんを紹介された事が記憶に残っています。
師匠の土田さんが一番活躍していたのは、ジョージ川口さんのバンドや、伝説のドラマー清水潤さんらと11pmに出演していたころだったとおもいます。
そのころの私は田舎から出て来たばっかりで、あまり会話もできないようなダサイ若者でした。
いつかこんな事がありました。師匠宅でレッスン終了後、師匠が自分が出演している、赤坂の高級ナイトクラブに連れて行ってくれると言うんです。
今だったら「はい、お願いします!!」と即座に答えるところですがあの時は、おことわりしました。・・・・・「もったいなーい」・・・・・
その時の心境は、たぶん、着て行く服がない、飲み物とか何を注文したらよいかわからない、話しかけられたら答えられない、外人がよく来ると言っていたのでビビる。などだったと思います。
土田先生は後年、私の現在住んでいる秋田が大好きで、こんな田舎者の私をたよって数回、来てくれました。
ホテルより私が以前、借りていた借家の子供部屋にいつも泊まって、子供から「また、いつ来てもいいよ」といわれ、ご機嫌だった土田先生を今もなつかしく思います。
写真で土田先生が吹いているアルトサックスは、葬儀の時、頂いてきたアメリカンセルマー(マーク6)製造番号8万代の最高級品です。
この楽器を毎日磨いて、吹いて、おがんで、師匠土田真弘さんに感謝しています。
飯塚 雅幸
今年初めての吹き初めは盛岡での2回の古希の会での祝賀演奏で幕をあけました。
今回も、たいへんお世話になっている盛岡を代表する「料亭・田中」の田中紀雄社長のご紹介による演奏依頼です。
70歳の大先輩、また岩手を代表する方々ということで、たいへん緊張しましたが、どちらもたいへん喜んでいただきうれしく思っています。
印象に残っているのは、東京から出席のご婦人が「今新幹線に乗る前にあなたの演奏で・・北の宿から・・を1コーラスでいいから歌わわせて下さいと哀願され、お歌い終わった後、「一生の思い出です」とお礼をいわれ、会の途中で駅に向かわれたあのうしろ姿・・・・・
なにか、ご婦人の目からあふれ出る涙から、遠くふるさとを離れ、この「北の宿から」にたいする思い入れを感じるとともに、「音楽をやっていてよかったなあ」と感じました。
飯塚 雅幸
ようやく上原富士子先生に御無理をお願いし、アルバムにひっそりと眠っていた、各方面に取り上げていただいた記事がネット上で日の目をみることができました。
押し入れに眠っているアルバムは10年に一度見る機会があるでしょうか・・・今日はじめて皆さんの前に登場です。
その場面、場面は、たぶん二人共、一所懸命、真剣勝負だったに違いありません。今さらながら思います。
あらためて、このような道楽をやれる環境を、許して頂いた皆様に感謝せずにはいられません。
又、ずっと指導してくれた二人の師匠、土田真弘先生、藤間小妙先生に感謝申しあげます。
なくしてしまった記事もいっぱいありますが、一部をホームページ作成のコンテンツに入れ42記事にしぼらせていただきました。
以上をもってホームページが完成いたしました。これからも御指導の程、よろしくお願いいたします。
飯塚 雅幸 藤間 知枝
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