JAZZ歌手で今は亡き「沢たまき」さんのディナーショーで演奏させて頂いた写真が出てきました。TV「プレイガール」や「ベットで煙草を吸わないで」のヒット曲、そして参議院議員も務めた彼女・・・「ニューヨークのため息」と評された「ヘレンメリル」ばりの彼女のJAZZは最高でしたよ。 飯塚 雅幸
飯塚雅幸が3密をクリアし「リシュブール」トリオでの演奏再会のリハーサルです。
5/6岸部さんの主導での岸部有三(ベース)佐藤郁夫(ギター)と私(サックス)のリハーサルは、これからのコロナ撲滅「幕開け」のさきがけとして動きました。医療従事の皆様に感謝をしながら「3密」をクリアし音楽でのあがきでした。換気をして山王「リシュブール」窓からこぼれでる音で3名のJAZZファンが駆け付けて頂き感激でした。昨年はこの私達3人に「ザキャットウオーク」マスターでドラムの「太田徹」氏「渡辺貞夫世界ツアー」のドラマー「小山太郎」氏などトップドラマーを加えた「岸部有三&ほろ酔いJAZZバンド」で演奏しました。収束後一早い復活を願っています。 飯塚 雅幸
飯塚雅幸が若い頃出入りしていた東京新宿歌舞伎町・今は無き「新宿コマ劇場」界隈の想いでです。
平成20年12月、私が若い時出入りしていた「新宿歌舞伎町」「コマ劇場」が閉じました。「演歌の殿堂」として超有名歌手の一日2回公演があったり、地下の「コマダンス会館」に出演などしていましたが、いつもお金がなく演奏後、必ずお世話になった立ち食い「コマそば」です。ネギは食べ放題、たくさんかけて頂き有り難うございました。コマ劇場裏のクラブ「リー」には「スマイリー小原スカイライナーズ」が出ていました。また最後に残ったダンスホール「ステレオホール」も懐かしいですね・・・そして「ACB」は「タイガース」などグループサウンズの舘として君臨しました。合わせて歌舞伎町にはバンドマンが一日200人くらいは出入りしていました。一番下の写真は旧コマ劇場へと繋がる「セントラルロード」です。あの頃と今の歌舞伎町は全く違った景色です。 飯塚 雅幸
飯塚雅幸の所蔵の「JAZZカラオケ・ベスト120曲」がこの時期、我が家で夕方から人気爆発です。
夕方からの「おうちJAZZカラオケ」を整理し「ベスト120曲」これは私だけの所蔵です。演奏は今のカラオケのコンピュータの「打ち込み」ではなく、昔の豪華フルバンド生演奏で画面は英語で出ます。歌用ですべてのキィ(12通り)が出てきて、楽器で演奏するとすごく勉強になります。「知りたくないの」など外国の曲に日本語の歌詞をつけた馴染みの曲も加えたベスト120曲、今まで見向きもされなく市販されていない希少価値の「JAZZカラオケ」がこの時期、我が家で人気爆発「BOSE」のスピーカーが唸っています。 飯塚 雅幸
藤間知枝の「日本舞踊稽古場」の庭は小桜が咲き誇り散り始めました、その下でサックス達が花見です。
妻・藤間知枝「日本舞踊稽古場」の小桜達が何事もなかったかのように咲き誇り、そして今散り始めています。そしてケースから出たサックス達が気持ち良さそうに「花見」&「虫干し」です。今年はこれらの楽器を使い一人での「多重録音」でアンサンブルのCD制作を目指します。クラリネットリード「ムーンライトセレナーデ」アルトサックス2本のハモリ「波路遙かに」フルートリード「ィパネマの娘」等少しずつアンサンブルの譜面を書いています。それにつけても老体なので「飲み過ぎ注意」「毎日5キロ歩く」を守り「練習」しないと実現しません・・・厳しいです。 飯塚 雅幸・藤間 知枝
飯塚雅幸の第2の故郷「酒田市」で御世話になった「グリーンムーダース」の面々です。
私の第2の故郷「西の堺・東の酒田」と言われた港町「酒田市」で御世話になった「グリーンムーダース」の面々です。隣りは日本を代表するビックバンド「高橋達也&東京ユニオン」の高橋達也さんの出身地で城下町の「鶴岡市」です。このバンドで鶴岡のキャバレー・酒田のクラブ・NHK鶴岡放送局でNHKFM番組などに出演しました。今から47年前の写真でこの3年後、映画評論家「淀川長治」氏から世界一の映画館と評された「グリーンハウス」で出火「酒田の大火」が起こりました。この時、偶然妻は長男出産の為大曲に戻っていました。光陰矢の如しであっという間の47年です。 飯塚 雅幸
飯塚雅幸が「尺八とフルート」を融合させハイブリット化した竪笛「オークラウロ」の音色をCDで聞きました。
バンブー(竹)のフルートとして世界から高く評価されている「尺八」の哀愁の息吹と、華麗な美しい「フルート」の二つの楽器を融合・ハイブリッドさせた楽器「オークラウロ」をご存じでしょうか、横笛ではなく竪笛で尺八の歌口とフルートのキー装置を合わせ持ち、フルートより少し太く縦型の指使い、この楽器は昭和の初期、男爵で「ホテルオークラ」の創業者として知られる「大蔵喜七郎」が発案、現在80年ぶりに蘇り、高い評価と共に各地でのコンサート・CDも販売されています。楽器の値段はハンドメイドの為にに150万以上はするみたいです。暇な今を好機ととらえ「フルート」を猛練習中ですが、千葉の知り合いから頂いた「尺八」が眠りから覚めてのブログ写真初デビューです。虎ノ門「ホテルオークラ・ロビーコンサート」での横山大寛「夜桜」をバックにした「オークラウロ」をいつか聞きたいものです。 飯塚 雅幸
飯塚雅幸&藤間知枝の娘「藤間綾那」が踊った「小鍛治」の狐、そしてその「隈取り」です。
私達の娘「藤間綾那」が中学生で踊った「小鍛治」狐と、その日本舞踊の化粧「隈取り」を布に写し取った「押し隈」です。妻「藤間知枝」の稽古場に飾ってあった物で、その娘も今では長男が「高校2年」長女が「中学1年」次女が「小学1年」そして私達の長男の長女は「大学2年」です。本当に時の早さを感じると共に、早く元の生活に戻れるよう祈る毎日です。 飯塚 雅幸・藤間 知枝
飯塚雅幸がこの時期を好機とし、しばらく吹いていなかった「フルート」の練習を開始しました。
この暇な時を好機とし、しばらく吹いていなかった「フルート」を3F屋根裏部屋「音楽室」にこもり毎日2時間ほど吹いています。サックスの譜面はシャープが多いですがフルートはピアノと同じでフラットが多くE♭、A♭、D♭、G♭あたりのキィでのフルートの練習は、指使いもほぼ同じサックス演奏に即効果があり頑張ります。ウエストコーストのスターのアルト奏者「バドシャンク」が持ち替えで吹く素晴しいフルートを想い出し老体にむち打って今日は「カルロスジョビン」の「ハウインセンシティブ」を練習中です。 飯塚 雅幸
飯塚雅幸、集収カラオケソフトCD「6000曲」の中「DAM 」に無い貴重な「JAZZカラオケ」がたくさんあります。
「カラオケ」は今、総国民の娯楽のものですが、昔は最初にスタジオでオーケストラが録音したものを(みんな一緒に録音するのではなく)歌手がそのモニターを聞き演奏・ミックスし録音する大変画期的なすごい事でした。そのカラオケも今は通信DAMシステムであらゆる飲食店・ホテルなどで使用されています。その「DAM」の前、今から30年ほど以前は「CD動画カラオケシステム」でした。静止画像ながら今のカラオケのようにコンピュータの打ち込みではなく、スタジオプレーヤーによる「豪華な生演奏」でした。DAMが採用の過渡期に大量にこのCDは廃棄処分されたと思いますが、私の手元に約6,000曲のこのCDソフトがあり、その中には「JAZZのカラオケ」もたくさん有ります。今のDAMにはJAZZは少ないですが身震いするようなJAZZのカラオケが大量に・・・貴重ですよ、又サックスの音を比べれば解りますが今の打ち込みと違い、昔のカラオケはスタジオミュージシャンの生演奏で素晴しいです。でもこのカラオケのおかげでこのミュージシャン達の仕事が激減しました。本当に時代の流れをつくづく感じます。 飯塚 雅幸
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